喜ばれなかった合格発表~祖父母の介護を担った高校生~4月9日 14時51分

「こんなにうれしいと感じられたのはいつぶりだろう」
第1志望の国立大学に合格した時、1人の女子高校生はそう思いました。でも、合格したことを両親に伝えても、喜んではくれませんでした。
一緒に暮らす祖父母の介護をほぼ1人で担っていた彼女。彼女が県外の大学に進学したら、介護を担う人がいなくなる。それが理由でした。
(さいたま放送局記者 大西咲)

嫌な気持ちを思い出す受験シーズン

「介護で希望大学に進学できなかったのは本当につらかったです」こう話すのはアオイさん(仮名・25歳)です。

高校生のころ、祖父母の介護を経験しました。介護と家事をほぼ1人で担っていたため、高校時代、多くのことを諦めざるを得なかったといいます。

「仕方なかった」と思うようにしていると話しますが、今でも忘れることができないのが進路についてです。

県外にある第1志望の大学に合格しました。それでも、介護のため、進学することはできませんでした。

今も大学受験シーズンになると家にこもりがちになり、あのころの嫌な気持ちを思い出してしまうといいます。

突然始まった祖父母の介護

アオイさんは、共働きの両親と妹、そして一緒に暮らす母方の祖父母の6人で暮らしていました。

両親は仕事で忙しく、幼いころからアオイさんと妹の育児や家事といった家のことは、祖父母に頼りきりでした。

それでもアオイさんは何不自由なく育ち、高校でも部活に勉強にと高校生活を楽しんでいました。

その生活が一変したのは高校2年生の夏ごろでした。

アオイさんが高校に進学してからまもなくして、祖父が体調を崩し入退院を繰り返すようになりました。

病院の付き添いなどは父親がしていましたが、突然、海外に転勤。さらに、家事や育児のほとんどのことを担ってきた祖母にも認知症の症状が出始めました。

「あなたのおじいさんがこちらの病院に搬送されたので、病院に来てください」

それまで父親がやりとりをしていた病院からの連絡がアオイさんに来るようになりました。病院の付き添いぐらいなら。はじめはそんな軽い気持ちでした。

ところがその後、「おむつを持ってきてほしい」「ティッシュが無くなりそうなので買ってきてほしい」といった連絡が病院から頻繁に入るようになりました。

病院の受付が終わる午後5時までに、治療費の支払いなどの手続きをするためには、学校を早退しなければならない時もありました。

さらに祖母も物忘れが目立つようになり、さすがに母親にも協力してほしいと訴えました。

しかし、母親には「お父さんは海外、私も日中働いているのよ。介護をできるのはあなたしかいないでしょう」と言われたといいます。

その時の気持ち、母親のことについて、アオイさんはこう打ち明けてくれました。

アオイさん
「私の家は祖父母が親のような存在で、母親は仕事ばかりで育児も家事もほとんどしていませんでした。介護についても無理解で実際、なにもしてくれませんでした。腹も立ちましたが、親がお金を稼いでくれていたので、私がするしかないのかなと」

私がやるしかない…

アオイさんが担っていたのは介護だけではありませんでした。食事、洗濯、掃除など家事のほとんどがアオイさんの仕事になりました。

学校から帰った午後6時ごろから、翌日3食分の家族の食事を準備しました。食事を済ませると、妹と一緒に食器を洗い、入浴している間に洗濯機を回しました。

その合間に、祖父母の介護。そして高校の宿題を終えるころには、日付が変わっていました。

どうして私が全部やらなきゃいけないんだろう。疑問に思うこともありました。

でもすぐに、ほかに代わってくれる人はいない、自分がやるしかないと思い、目の前の家事や介護を必死にこなすしかなかったといいます。

早く寝たい、それだけを考える日々

アオイさんが睡眠時間を削り、どんなに頑張っても、祖父母の症状はよくなるどころか悪化していくばかり。

祖父が病院から戻り自宅にいる時は、トイレを手伝い、体を拭きました。

食事をしたことも忘れるようになった祖母を必死になだめ、少しでも症状が改善するようにと、話し相手にもなりました。

しかし、高校3年生になるころには祖母の症状はさらに悪化していました。夜になると、「洗濯をしないと」と言って、自宅のトイレにタオルを詰め込み、水をあふれさせるようになりました。

やめるようにお願いしても、繰り返す祖母。そのたびに深夜にひとりで床を拭き、涙がこぼれることもありました。

さらに、はいかいを頻繁にするようにもなりました。夜、いつの間にか家の鍵を開けて外に出てしまい、アオイさんが遅くまで探し回りました。

祖母が警察に保護され、携帯電話の呼び出し音で目を覚ましたこともあります。

「私ががんばらなきゃ」
「祖父母には私しかいない」

そう思って頑張ってきましたが、一向に終わりが見えない介護に追われる中で、次第に何も考えられなくなっていったといいます。

アオイさん
「このころは慢性的な睡眠不足の状態で『つらい』というレベルを超えて、何も考えられない状態でした。とにかく眠りたい、早く1日が終わってほしい、そんなことばかり考えていたと思います」

誰も理解してくれない

当然、学校生活にも大きな支障が出るようになりました。

授業中に居眠りが増え、成績も下がっていきました。大好きだった部活にも行けなくなりました。

ある時、先生たちに理由を聞かれました。勇気を出して祖父母の介護のことを打ち明けました。

しかし、言い訳をしていると思われたのか、先生たちからは「もっとまともなうそをつけ」「子どものあなたが何の役に立つの」と言われ、理解してもらえなかったそうです。

その度、「話してもしかたない」「誰にも頼れない」と思うようになっていきました。

喜ばれなかった合格発表

こうした生活の中でも、アオイさんが諦めたくなかったものがありました。大学への進学です。

祖父母の介護は、いつかは終わる。介護を理由に大学への進学を諦めたら、自分の中には何も残らないような気がしたからです。

だから、どんなに介護が大変でも、家事が忙しくても、祖父や祖母の枕元で、時間を見つけては問題を解きました。

その結果、念願の第1志望の国立大学に合格することができました。「うれしい」久しぶりに心の底から喜びました。

しかし、合格を伝えた両親から言われたのは、「残念だけど、行けないのわかってるよね」ということば。

覚悟はしていましたが、両親は大学の合格を喜んではくれませんでした。

第1志望の大学は、県外にあったため、両親たちは祖父母の介護を理由に反対したといいます。

進学したいと何度も訴えましたが、最後まで両親は認めてくれませんでした。

結局、アオイさんはこの大学への進学を諦めました。自宅に届いた合格証書は泣きながらシュレッダーにかけたといいます。

救われた瞬間

アオイさんが、祖父母の介護をする中で、唯一救われたと感じた時があります。

高校3年生の終わりごろ、はいかいして保護された祖母を迎えに警察署に行った時のことです。

アオイさんから状況を聞いた警察官は「ひとりで見るなんて無理だよ、つらいに決まっているよ」と言って、相談窓口を紹介してくれたのです。

このとき初めて、介護保険制度を使ったサービスを受けられることを知りました。

それまでは大人たちから怒られることばかり。

はいかいした祖母を迎えに行くと「ちゃんと見てないと」と言われ、学校の成績が落ちると先生に怒られ、家の事情を話しても、相談に乗ってくれる大人はいませんでした。

だから相談することに消極的になり、しかたないんだと諦めていました。

そんなときに言われた「つらいに決まっているよ」ということば。アオイさんは、忘れかけていた人の優しさを思い出しました。

介護が居場所

アオイさんは第1志望の大学への進学は断念しましたが、大学進学自体は諦めませんでした。

自分自身のチャンスを潰したくないと思い、県内の大学に進学。

祖父は、大学1年生の時に亡くなりました。祖母は現在、施設に入所しています。

そしてアオイさんは大学卒業後、就職し働いています。

介護をしていた時は、つらいことが多かったといいますが、大変なことばかりではなかったといいます。唯一自分の居場所を感じられた瞬間でもあったといいます。

アオイさん
「食事を作ったり、洗濯したりすると、まれに祖母から『ありがとう』って言われるんです。誰にも理解してもらえない中で、そのことばが唯一の支えでした。ただ、今は私がしてきたことは『家のお手伝い』ではなく、介護という『労働』だったんだと理解しています」

子どもたちの人生へ与える影響

アオイさんのように家族の介護をする子どもたちは「ヤングケアラー」と呼ばれ、ようやく国や自治体が支援に動き出しています。

しかし、専門家は「ヤングケアラー」の問題が表面化してこなかった理由のひとつに、アオイさんのようなケースがあると指摘しています。

濱島教授
「アオイさんのように共働きの両親がいて一定の収入があると、そもそも支援の対象だと認識されず、問題が表面化しづらい。本人たちからすると、目の前の大事な家族の命を大切にすることは、人としては当然のことです。ただ、子どもたちの人生への影響は本当に大きいものです。学校の中にスクールソーシャルワーカーを配置するなど相談窓口を設けるといった仕組みを考えていく必要があると思います」

子どもたちの機会を守るために

今回取材したアオイさんは、志望した大学ではありませんでしたが、なんとか自分の力で大学に進学する選択をすることができました。

ただ、取材の中では進学を諦めたという「ヤングケアラー」もいました。

家族の介護によって、選ぶことができたかもしれない進学や就職といった機会が奪われ、人生の選択肢が狭められないように。

どういった支援のあり方や制度が必要なのか、引き続き取材をしていきたいと思います。

NHKでは、知ってほしい“ヤングケアラー”という特設ページを立ち上げ、関連する記事をまとめているほか、みなさまのご意見やご自身の体験などを募集しています。

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知ってほしい“ヤングケアラー”

さいたま放送局記者
大西咲
平成26年入局
熊本局、福岡局を経て
去年夏から現所属。
介護福祉分野を6年取材。