震度7の揺れに2度にわたって襲われ、関連死を含め276人が犠牲となった一連の熊本地震から14日で5年です。熊本県庁では、新型コロナウイルス対策で規模を縮小したうえで追悼式が行われました。

追悼式は午前10時から行われ、新型コロナウイルス対策として規模が縮小されるなか、遺族など34人が参列しました。

冒頭、全員で1分間の黙とうをささげたあと、蒲島知事が「熊本地震、新型コロナウイルス、令和2年7月豪雨災害と、これまで経験したことのない大逆境のなかにあるが、誰ひとり取り残されることなく安心して暮らせる熊本を築いていきます」と述べました。

続いて遺族を代表して、自宅が全壊し83歳だった父親の王將さんを亡くした嘉島町の冨岡謙蔵さん(58)が「2度目の激震に自宅は耐えることができず、夜明けを待って救出された父はすでに息がありませんでした。かすかな望みを絶たれ、せきを切ったように涙があふれ、人目をはばからず声をからして泣きました」と当時を振り返りました。

そして「復興が進む一方で、新型コロナウイルスや去年の豪雨によって多くの方が亡くなりました。ふるさとの熊本が元気な姿を取り戻すことができるよう力を尽くしていきたい」と決意を述べました。

最後に参列者が祭壇に花を手向けて手を合わせ、犠牲者に祈りをささげました。

大学生の遺族「亡くなった息子を考え続ける」

熊本地震の本震で発生した大規模な土砂崩れに車ごと巻き込まれて行方が分からなくなり、およそ4か月後に発見された阿蘇市の大学生、大和晃さん(当時22)の父の卓也さん(62)と母の忍さん(53)、それに兄の翔吾さん(28)は遺影を抱いて追悼式に参加しました。

追悼式のあと父親の卓也さんは「地震から5年が経過し、周りの景色は変わっていきましたが、息子を失った時の気持ちは当時のまま変わりません。何年たっても、亡くなった息子のことを考え続けると思います」と話していました。

45人死亡の益城町に献花台

一連の熊本地震で2度にわたって震度7の揺れに襲われた益城町には献花台が設けられました。

益城町では関連死を含めて45人が亡くなり、住宅の98%に被害が出ました。

区画整理事業が続いていて、今も281人が仮設住宅などでの生活を余儀なくされています。

献花台は、益城町の交流情報センターに設置され、午前中から町長や住民が訪れ、花を手向けて犠牲になった人たちを悼んでいました。

献花を終えた西村博則町長は「大切な家族を亡くした遺族の皆さんの悲しみは癒えることはない。引き続き遺族や被災者に寄り添っていきたい」と述べました。

家が全壊し、現在は再建した自宅に住む語り部の会の事務局の吉村静代さん(71)は「5年たつが亡くなった方のことを忘れたことはない。心の復興は5年、10年ではできないので、だからこそみんなとのつながりを持っていきたい」と話していました。

そのうえで「被害を語り継ぐことは命を守ることだと思って活動している。益城町は備えが足りなかったので、備えと共助の大切さを伝えていきたい」と話していました。

献花台は16日まで設置されています。

菅首相「復興に全力で取り組む」

熊本地震の発生から14日で5年となるのを受け、菅総理大臣は総理大臣官邸のホームページにメッセージを掲載しました。

この中で、菅総理大臣は「亡くなられた方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表しますとともに、すべての被災者の方々に心からお見舞いを申し上げます」と記したうえで、「私も、おととしの冬に現地を視察し、被害の大きさや災害復旧工事が急ピッチで進む様子を目の当たりにするとともに、地元の皆様の思いやご苦労を直接伺い、復興に向けた決意を新たにしたことを鮮明に記憶しております」とつづっています。

そして「政府としては、引き続き被災された方々に寄り添いながら、地元の皆様と連携し、復興に全力で取り組んでまいります」としています。