戦時中、旧日本軍が重要な拠点を空襲から守るため、煙幕で覆い隠す実験を行い、その様子を記録した映像が高知市で見つかりました。
専門家は「本土空襲を前提とした実験をしてでも戦争を続けざるをえなかった当時の日本の在り方が問われる貴重な史料だ」と話しています。

見つかったのは、旧日本軍の第八陸軍技術研究所が製作した「要地遮蔽」という題の音声がついた31分間の映像で、研究所にいた高知市の男性の遺族が保管していました。

映像では軍需工場などの重要な拠点を煙幕をはって隠し、敵の空襲から守る方法について解説していて、実際に工場を煙で覆い隠した様子も記録されています。
また、重油や生ゴムなど10種類の発煙材について、それぞれもっとも煙が出る燃やし方などを実験を交えて紹介しています。

研究所の報告書には、終戦前年の昭和19年3月と6月の2回、映像に記録されていた内容と同じ実験を行ったことが記されていて、複数の専門家が映像はこの実験を記録したもので、関係者の指導用に製作したのではないかと指摘しています。

このうち近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「実験はサイパン島の陥落前に行われていて、すでに旧日本軍が本格的な本土空襲を予見し、煙幕を使った防空作戦を最終手段として考えていたことが伺える」と指摘したうえで「本土空襲を前提とした実験をしてでも、戦争を続けざるをえなかった当時の日本の在り方が問われる貴重な史料だ」と話しています。

フィルムは映像の台本と金属の容器で保管

見つかったフィルムは、6年前に亡くなった高知市の田野岡精一さんが長年、保管していました。
田野岡さんは東京帝国大学工学部を卒業後、昭和17年から終戦まで今の東京 小金井市にあった第八陸軍技術研究所に所属していました。

専門家によりますと、この研究所は兵器に使われる原材料や火薬などについて基礎的な研究と実用化を担っていたということです。

研究所の報告書には、田野岡さんが2度の煙幕の実験に陸軍兵技中尉として参加したことが記録されています。

遺族によりますと、田野岡さんは戦後、故郷の高知市に戻り、高知工業高等専門学校で化学の教師を長年務めたということですが、研究所での詳しい仕事内容やフィルムの中身については周囲に明かさなかったということです。

フィルムは映像の台本とともに金属の容器の中に保管されてきましたが、遺族が高知県立図書館に寄贈し、現在、国立映画アーカイブに移管する手続きが進められています。